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Chiaki Photo BLOG

全世界出張型フォトグラファーのChiakiのブログです!日々感じること・写真について書いていきたいと思います♡

大好きな人たち〜ibaya・坂爪圭吾さん編〜

 

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今回は、私の周りの大好きで生きて欲しい人たち・ibaya編について順に書いていきたいと思います♡

第一回は、圭吾さん♡(*^^*)♡ぱちぱちぱち〜!!!

 

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このお茶目でチャーミングなポージング・・

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圭吾さんの楽しそうな表情を見ると、嬉しくなる!(真ん中にいらっしゃるのは、伝説の阿部さまです・・)

 

まず、ここを皆におさえてもらった上で、今後のブログを読んでもらえたら面白さが倍増するかと思います⭐︎

以前Facebookに書いたものを加筆修正しつつまとめ直していきます(*^^*)

・・・しかし。どの人も、文章で説明することができないくらい、多岐にわたっていろいろな事をされていらっしゃる。笑

 

ibaya編??ibayaってなに?そう思った皆様!いばやとは、やばいの逆です。『とにかく(自分たちが)やばい(と思う)ことだけをやろう!』という点で意気投合した坂爪圭吾さんとMAYUさんのお二人が2013年の8月に設立したのが、合同会社ibayaです。

会社としては異例過ぎる、利益を一切出さないという会社です。

やばいことをやっていれば、それを面白がってくれるやばい人があらわれて、化学反応が起きて、結果とんでもないわっしょい状態になるはず人生は基本的にギャグである、というユーモアをお持ちなので、会社を設立したのもある意味ギャグ!とのこと。

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このいばやメンバーの雰囲気。神々しい。。

いばや設立時に、いきなり50万円をぽんと渡したという阿部 俊介さんのエピソードもまじでかっこよすぎる。男前すぎていばやすぎる。

ibaya.hatenablog.com


そして、2016年1月に突然『積極的倒産』(まじ名言・・)を遂げて周囲をびっくりさせました。合同会社いばや解散時のエピソード。自分が自分に飽きたから、という感覚は本当にすごすぎる。

ibaya.hatenablog.com

 

この時点で、なんとなくそのいばやさは伝わったかと思います。

じゃあ、その会社を設立されたうちのひとり、坂爪圭吾さんどんな人?!
圭吾さんは、かの有名ないばや通信というブログを書かれている方です!

2014年のバレンタインデーに、当時同棲されていた彼女にふられて家・お仕事がない生活がはじまった圭吾さん。
インターネット上にて日々感じることをブログなどで発信しつつ、「どなたか泊めてください!」ということ

ibaya.hatenablog.com

奴隷経済という活動をスタート(これがきっかけで徹くんと圭吾さんは出会っています)

ibaya.hatenablog.com

気づけば「お会いしたいのでぜひぜひ来てください!交通費は私たちで出します」と全国各地に泊まれる家、頼れる人が続々とできていく。
そして、海外にもたくさん無料で呼ばれるようになる。
それまでの人生は他人が敵に見えていたのに、一気に人を味方に感じるようになったという事です。
家をなくしたら、家が増えるという謎の現象。
そしてなんと2015年12月、家を買ってもらうという奇跡が起こって熱海を拠点をかまえることになりました。

ibaya.hatenablog.com

善意でもらったお家を温かな循環がはじまる場所にしたい、ということでいつでもどなたでも自由に遊びに来て自由に使ってください、というお家になっています。

また、わたり食堂やわたり文庫(http://ibaya.org)Cafe Envelope、というものもされています。なんとフリーで誰でも使っていいというお財布まで玄関に飾ってあります。その中身は、勝手に増えたり使われたりと変動し続けているということ。

このブログ、個人的に大好きです♡

ibaya.hatenablog.com

無料で誰でも飲食ができるカフェをされたい、ということでスタートしたCafe Envelope。

メニューは「Water (HOT or COLD)」という事態。笑

あるものを提供する、無理しない、やりたいと思ったことをとりあえず行動に移してみるというそのスタイルが最高に好きだなぁ。

結果開店させてみると、来る人来る人がとても素敵なお土産や自身の得意を活かしたものをおくったりして、世界にまたとない素敵なカフェになったという逸話です。

ibayaやこのカフェのように、とりあえずやる。箱をつくる。場を提供する。そこから、そこにしかうまれないものが自然とひとりひとりの生きているエネルギーで構成されていく。

うまく言えませんが、きっかけをくれるというか、周りの人の素敵なエネルギーを引き出す力というか、集める力がある方だなぁ。磁石みたいな・・磁場を整えているようなお方だなぁ、と思います。


素敵な記事が多すぎるのですが、わたしが好きな記事を何個かピックアップしてみました♡

 

どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ。

ibaya.hatenablog.com


【貧乏性最強説】私が貧乏性によって躁鬱病統合失調症を克服し、三ヶ月で15キロ痩せた話。

ibaya.hatenablog.com



【いばや会議】神は「好きなように生きなさい」と言っている。

ibaya.hatenablog.com



マッチ売りの少女を殺したのは誰か。ー 自分をオープンなものにしている限り人間は絶対に死なない。

ibaya.hatenablog.com

 

とにかく逸話がありすぎて語りつくせませんが、本当に素敵な方なのです・・。
文章だけ読むと、自分からは超遠い!!!神様的な存在に思えたりすると思いますが、実際にお会いすると、とても柔らかい感受性を持たれた素敵な男性です♡!

ああ〜、圭吾さんはすごいというか、圭吾さんを生きているだけなんだなぁ。と、強さと弱さと優しさと、色んなものを持っているとっても人間らしい方。

圭吾さんの文章を読んでいると、自然と涙が出たり心が洗われたり、胸の奥底からとってもあついものがこみ上げてきます。自分の純度が本当に高くて、彼の文章に触れると浄化される感覚。

人の心の奥の純粋な部分を刺激してくれて、自分自身を生きるということの大切さ、誰もが皆最高で唯一無二の存在なんだな、と思い出させてくれる。圭吾さんのすごさを教えてくれるんじゃなくて、自分自身の持つ力を思い出させてくれる。

そんな圭吾さんが大好きなんです。。!!!一緒に生きよう、遊ぼう、って、多くの人に希望を与えてくれるような、メッセージをくれるような存在。

見る人を自由にする、風のような方です。

 

・・・・やっぱり好きな人たちについて書くのって、楽しいし嬉しい気持ちになるね!!

生きててくれてまじありがとうございます!!!!

 

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第一弾は圭吾さんでした♡ぱちぱちぱち!

2009年フィリピン編

オーストラリア滞在中。

 

悲しい記憶を思い出したくなかったのだけれど、エージェントの人から

「もし、今回の事がきっかけであちらの家族が離婚問題になった場合、あなたが訴えられる可能性がある。辛いと思うけど、警察に行きましょう」

と言われた。

ということで、私の人生初の警察体験はオーストラリアでした。

訴えられるかもしれない、という響き。

悪い事、してないのに私。という気持ちと、悪い事したんだ、私。という気持ち。

この場合の『悪い事をした私』というのは『私が存在している事が悪い事だ』というレベルの思考回路に達していた。

警察官の女性はとても親身に話を聞いてくれたのだけど、最後にこう言われた。

「これをあなたは訴訟しますか?訴訟する場合は、短くても1年・・長いと3〜5年かかる場合もあります。ボイスレコーダーなどの証拠がないので、あなたは被害者ですが不利です」

裁判に、5年。24歳まで、この問題をこの土地で引っ張る??絶対そりゃないわ。

「しません」と即答した。

あぁ、世の中ってこういう仕組みになっているんだ。泣き寝入りしてる人がたくさんいるんだろうなぁ。

後日、ホストファミリーは仲が悪くなるどころか、私の事件がきっかけで、私を悪者にして家族で一致団結しているという事を、エージェントの方伝いに聞いた。

そんな一致団結の仕方が、この世にあるのか!!!と私はまた全身を打たれたように衝撃を受けた。

 

色々綴りましたが、滞在中は楽しく、嬉しいこともたくさんあった。

世の中のことを知らなかった私には、海外でのすべての体験が刺激的だった。

 

これを書くにあたって、当時の日記を読み返したのだけれど、

 

『世界で一番自分のことが大嫌いだったけれど、ほんのすこしだけ好きになれた。それが一番嬉しかった。

今まで、ずっと自分のことを意気地なしでチキンで、結局は口だけで行動にうつせない人間だ、って思っていたけど、自分は自分が思っている以上にアクティブで度胸があるのかも。

ラフティングに行った時、高所恐怖症だったけれど、すごく高い崖の上から飛び降りて川にダイブした。そして、気付いた。全てはジェットコースターみたいなものなんだ。怖い怖い、どうしよう・・と、乗るか迷って躊躇している時間が一番怖い。やるんだ!と決めて飛び乗っちゃえば、あとはあっという間に、なるようになる。そして、気づけば、あれ・・?できたんだ!!私!ってなれるんだ。

やりたいことを、なんでもやっていく人生にしたい。やりたいことや夢が変わっていっても、叶えていきたい。これが、オーストラリアで見つけた、一番大切な私の夢。何歳になっても忘れたくない』

 

と書いてた。

え?私、世界で一番自分のこと嫌いだったの?!😂
すっかり忘れすぎていて、ビックリしてしまった!

そっかぁ、こんなこと思っていたんだなぁ、この瞬間は、全力で。

過ぎ去れば、別人の自分になるよね。笑

 

でも、この日記の気持ちとは裏腹に、帰国してからやり場のない怒りや悲しみが、ふつふつとわく瞬間もあった。

「フィリピンに、どうしても行かなきゃ!」と前は思っていたのに、フィリピンと聞くと寒気がする。行ったことのないフィリピンのことが、憎くてたまらない気持ちになる。男性にもできれば近寄りたくない。

こうなったら…絶対に誰にも負けない女性になってやる!と謎の強気モードを発揮した時期もあった。「千明ちゃん、なんか変わったね」と言われた時に「じゃあ、どうすればいいとよ!!」と家で一人で大泣きした。

当時の私…The⭐︎不器用の塊だな。

 

でも、ある時。はたと、

「たった一人のフィリピンの人のせいで、フィリピン全体を嫌いになるなんて、違うよね。次の夏休み、フィリピンに行こう。もう一回、ホームステイにチャレンジしよう。記憶が凝り固まる前に上書きする作戦だ!!死んでもフィリピン行かない、って思ったけど、これは逆に、フィリピンに行け・・というお告げな気がしてきた・・。」

と思った。葛藤の中でも、どうにか前に進みたかった。

ついでに言うと、武士気質の私は「こんなことされた、可哀想な子なんです。慰めて・・(;;)⭐︎」みたいな雰囲気になるのが、まじで嫌だった。悲劇のヒロインにはなりたくない。それだったら、ぶった斬って前に進むわ、嫌でも怖くても!という気持ちでしたね😂

そんなこんなで、大学2年生の夏休み、私はフィリピンのスモーキーマウンテン・貧困地区をめぐりながらホームステイをするというスタディーツアーに参加します。

その経験も、私の中でとても、とても大きく残っています。

 

スモーキーマウンテンで家庭訪問インタビューをさせてもらったときに、私はお父さんに

 

「最近一番、幸せだと感じたことはなんですか?」

 

と聞きました。すると、お父さんは

 

「一つ目に、家族が全員一緒に住めていること。フィリピンは、離れ離れになってしまうことが多いから。

二つ目に、家族みんなが健康であること。

三つ目に、家族の大黒柱である私が、働ける体を持っていること」

 

と答えてくれた。

その瞬間、当時の私はハンマーで頭をかち割られたような衝撃を受け、涙が止まらなくなった。

最近、幸せなこと。

その答えが、この3つ。

2番目に関しては、私たちから見るとひどい湿疹があり、咳をしていたため、到底健康な状態には見えなかった。

そのときの私は「人と人との違いって、誰から生まれて、どこの場所に育ったかという事がベースにあるんだろうな」と感じた。

自分がフィリピンに、スモーキーマウンテンに生まれていたら、ここに馴染むように育っていったんだろうな。この人が、私の家に生まれていたら、普通の日本人だったんだな。

うまく言えないけど…あなたは私なんだね、私はあなたなんだね。地球って、そうなっているんだろうなぁ、と感じた。

 

フィリピンでのツアーは3グループに別れて行動したのだけれど、私の班はとにかく皆個性が強烈に強かった。各々の意見をしっかり持っていた。ディスカッションは、すごい勢いで、とにかく濃くぶつかりあった。

ツアーリーダーの人は、何も言わずに笑顔で見守っていてくれたのだけれど、後日「あまりにも皆の個性が強すぎて、どうしようもなかった。自分がどうすればいいかもわからなくって、ただ見守る事しかできなかった」と言っていた。

私は、なんとかそんな班をまとめようとするものの、勿論無理だった。

「千明は考え方がまじで甘い」とバッサリと理路整然と斬られまくる。

とにかく言われたことを本気で受け止めて、それで自分の意見を言って、また投げかけられて、衝突して・・という人生で初めてのぶつかり合いをした。

 

そんなこんなのフィリピンでの体験やホームステイを通して、私の中のフィリピン嫌いの気持ちが成仏した。

「フィリピン人に嫌な事された!フィリピン人嫌い!」と、何か起こったときに、全体の目で見てしまう事は、戦争の種になるんだな。

「貧困が云々、戦争は嫌だ」って散々考えてきたけれど、私の中にある戦争の種に気付かされた。

個人個人として物事を見ていかないと、素晴らしい出会いや体験を逃していく事になる。そうなると、自分の人生、損しちゃうよなぁ。そんなことも思いました。

 

そして帰国後。今度は、貧困問題などを目にしたことによって、自身の罪の意識に再び苛まれることになります。

何も知らずに生きていたことに対する罪の意識。何も知らずにものを買って消費していた罪の意識。戦争時代に日本がしてきたことに対する罪の意識。

それを、何も知らない人への怒りへと変換してしまった時期もありました。

何も知らずにのうのうと暮らしている人がいることが、許せなかった。

自分自身のことも、許せなかった。

そうして、大学2年生の頃の私の顕在意識と潜在意識は、トゲトゲした罪&許せないパラダイスに突入していったのでした。

 

・・・なんか久しぶりに自分の過去の性質を思い出して思わず笑ってしまった😂

でも、こんな時期の自分がいたから、今の自分がいる。ありがとうね!と言いたくなります。

 

ただ、もちろんそんな生活をしていると苦しいし、しんどいし、嫌になってくる。

色々と悶々とした結果、

「本当の幸せってなんなんだろう?私は、今まで、わかりやすく言うとお給料が10万円の人より100万円の人の方が幸せ!て思ってた。でも、そんなもんじゃない気がする。よくわからないけど、次はインド。インドに呼ばれてる気がする。よし・・・インドに行こう!怖いけど・・怖いけど、行かなきゃいけない気がする!!」

と感じるようになります。

そして、大学2年生の終わりの春休み、20歳のとき。

私はバックパッカー一人旅で2か月ほどタイ・インド・バングラデシュ・台湾をまわることにしたのです。

 

そこで、私の人生観を大きく変えてくれる人と出会います。

chiakiphoto.hatenablog.com

 

 

*********************

 

アルケミストという本の前兆のお話がとても印象に残っています。

前兆に従って、すすむということ。その前兆は、予感だったり虫の知らせだったり。神様が残してくれた前兆に気がついて、それを読んでいくこと。それが宝物を見つけることにつながる。

まじで私は前兆を読む事ができていたんだなぁ、て感じています。

 

徹くんと私を結びつけてくれた人は、フィリピンのツアーで同じ班だった、私に本気でぶつかってきてくれた男の子です。

私が社会人になり奈良県に転勤した際、彼が近くに住んでいて、よく遊ぶようになりました。

「俺の高校の同級生で、千明に似てる部分を持つやつがいるんだよなぁ。直接的に社会問題に取り組んだりは、していないんだけどさ。千明みたいに、面白い形で自分の道を突き進んで、周りにパワーを与えているというか。会ったら絶対、面白いことになると思う!是非会ってみてほしい!」

と言われて、徹くんに出会いました。

そのタイミングも絶好で、あの時に会わなかったら、こういう関係にはなっていなかったかもなぁ、と思っています。

お互い絶妙な成熟具合・発展途上具合だったというか・・・。

note.com

 

あの時、英語力を無視してオーストラリアに行かず、フィリピンに行っていたら…

徹くんを紹介してくれた男の子には、会えなかった。

オーストラリアで悲しい目にあっていなかったら、ホームステイのツアーに拘らずに違う形でフィリピンに行っていただろうな。

 

何だかんだで、結果オーライ。タダでは転ばない。自分無敵。と思っているのだけれど、きっと今の自分だったら、どの道を選んでいたとしても「まじで、これを選んで良かった・・!奇跡やったわぁ・・!私、前兆読む力があるなぁ」と言っている気がします。

でも、それが一番無敵だよね。

どんな選択をしても、自分で自分の選択に頷けばいいんだね。

2009年オーストラリア編

早速、ブログに何かを書きたい!と思ったのだけど、

前後が繋がってこそ、伝わることも多いよね。

私と徹くんの出会いを書こうと思ったのだけど、そもそもの出会いが繋がった経緯から書きたいなぁ、と思いました。

幼くもその時その時で、全力だった私の話。

 

私は大学時代まで、貧困問題に携われるNGOで働きたかった。

きっかけは、幼稚園の頃。

寄付をお願いします、と募金活動をしている人をみて、私はお母さんに聞いた。

「ねぇ、あれって何してるの?」

「あれはユニセフ募金っていうのよ。お金を集めてるの」

「なんでお金を集めてるの?」

「世界にはお金がなくってご飯が食べられない子もいるんだよ。そういう子のために、ご飯をあげるためのお金だよ」

そう言われた瞬間の衝撃を、今もはっきりと覚えている。

当時幼稚園生だった私は、世界が日本しかないという感覚・・むしろ自分の家と、目に届く範囲しかないという感覚だった。(そりゃそうか)

ご飯を食べれない子がいるの??なんで??どうして??

ショックと同時に、世界って、意味不明・・と、パニックになったのを覚えています。

 

そんな記憶が胸のどこかに残りつつ、時が経ち私は仏教校の高校に通うようになります。

本当に素敵な校風で、月に一回、先生やお坊さん・ゲストスピーカーの方からご法話を聞く機会がありました。

その時に、フィリピンのスモーキーマウンテンの話をしてくれた先生がいました。

子供に、「あなたの夢は何ですか?」と聞くと、「大人になるまで生きること」そう返事が返ってくる場所。それがスモーキーマウンテンというゴミ山。

フィリピンではゴミ山からお金になるものを拾って、それを売って生計をたてている人がいる。でも、そこの環境は劣悪で乳児死亡率は30%と言われている。

その話を聞いた時、私は再び、幼稚園の頃に受けたような衝撃を受けた。

 

「大学生になったら、スモーキーマウンテンに行きたい。何かできることがあるはずだ」

 

そう心に決めて、大学に進学後、スモーキーマウンテンに行こう・・・としたんだけど、私の英語力は 最っ悪⭐︎

リスニング・スピーキングが苦手で、Hello,Yes,Noくらいしか、まともにわからないというアホっぷり。(大学受験は筆記のみだったので大丈夫だった)

このままじゃ、スモーキーマウンテンに行っても何もできなくない??!!

英語をある程度勉強しなくては。

 

ということで、2009年2月。千明、19歳。

大学1年生の終わる春休み、オーストラリアにホームステイ語学留学&一人旅に行きました。

海外に行ったのは高校の修学旅行以外では、はじめて。

当時私の周りには、一人で海外に行くような友達はいなかった。

ネットでいろいろな情報を調べるという脳もなかったので、前情報も何もなし。

まじで、初めてのおつかいレベルの気持ちだった。

あまりにもしっかりしていなくって、甘ちゃんで、ドジな自分を変えたかった。

周りの友人には海外に行くことを一切言わず、一人でエージェントを探して一人で決めて、家族に決定事項を伝えて海外に旅立った。

それだけで大人になった気分だった。

一人で決められた、一人で飛行機に乗れた、一人でなんでもできるようになったんだ!

 

初めての海外一人旅は、見るもの全てが魅力的で刺激的だった。

方向音痴な私は語学学校初日、ホームステイの家に帰る途中に見事に迷子になり、家と真逆の方向に2時間近く歩き続けた。

薄暗く、どこまでいっても人通りのない道。

どうすればいいかわからなくって、ガラケーで泣きながら家に国際電話をかけた。

 

「ぐすっ・・・お母さん、もううちだめやん、道がわからん・・。2時間迷子になってる。家にたどり着けん。どうすればいいと??」

「はぁ??そんな・・・この距離で言われたって、何もしてあげられんよ。タクシー呼んだら??」

「タクシーの番号もわからんし、英語でなんて、電話かけきらんよ・・ホストファミリーの電話番号もわからんくなってしまったけん、道も聞けん・・・」

「とにかく、どうにかするしかないよ・・大丈夫?人に何とか聞いて、助けてもらいなさい」

「わかった・・・。」

 

近くの家にピンポンをして、お兄さんに拙い英語で道を聞いた。道は教えてもらえたものの、ナンパされ家に連れ込まれそうになり、半泣きで逃げた。

どうやた私は、ただの一本道を2時間、逆方向に歩き続けていたことようだった。

ちぃぃん。

結局、また2時間ちょっとかけて家に帰った。

初日から前途多難である。

あの時に感じた恐怖と、世界中に一人ぼっちのような、寂しくて怖い感覚はいまもはっきりと覚えています。

 

あぁ、わたしはわたしの人生を選べる。でも、ひとりなんだ。

待っていても、何も変わらない。

自分でアクションを起こして切り開かなきゃいけないんだ、人生って。

 

更に、2日目。

授業の合間に学校のすぐ隣のショッピングモールにみんなでお昼ご飯を買いにいった時に、一人迷子になり、授業に遅刻。

「ま、迷っちゃいました・・・」

と教室に入った瞬間に涙がこぼれてきて、先生に慰められてみんなに笑われる。

その後も迷子事件は多発し続け、語学学校内で初めましての人に自己紹介をした際に

「・・・君って、もしかして迷子の ちー??学校内で有名だよ!!すっごい短い距離でも迷子になる、迷子の達人って・・!」

と言われてびっくり仰天。

気づけば皆に Lost girl と呼ばれるようになりました。笑

 

その後も様々なおっちょこちょいエピソードを残しつつ、最大の事件に直面することになります。

 

わたしのホストファミリーは、フィリピンからの移民の家族。

パパとママ、おばあちゃん、そして5歳と7歳のお子さん二人。

私はもともとフィリピンに行きたくて英語の勉強に来ていた。

「フィリピン人の、ホストファミリー!!!嬉しすぎる・・!いろんなお話が聞ける。これはきっとフィリピンに行きなさいというお告げなんだなー!!」

とすっごく嬉しかった。

ステイが始まって10日ほどたったある日。

ホストファザーとベランダで、二人きりになった時
「スモーキーマウンテンに行きたい、ボランティアがしたい」という話をした。

「君のその気持ちはとっても素敵だね、本当にいいことだ」

微笑んでそう言い、彼は私の手を掴んで、手の甲にキスをしてきた。

その瞬間、背筋が ぞわぁあ!!!となり、慌てて手を引っ込めた。

私は思わずキョドりながら

「あはははは、もう遅いからっっ、寝るね、おやすみなさい!!」

ダッシュで部屋に帰った。

ベッドに入ってから、悶々と考えた。

 

あれって何だったの???確かに、海外はキス文化がある。
ホストファミリーたちが家族内や友達でキスしてるところも、たくさん見た。

でも、なんか、なんか、あの目線とキスの仕方、触り方って・・なんか、なんか変だった。全身が警報を放った。怖い!!!!

 

次の日、語学学校で知り合って仲良くなった はるという女の子に、その話をした。

「それって、まずいよ。キス文化は確かにあるけど・・でも、それをちーが嫌だって感じたのなら、それは何かある気がする。いまのうちに、ホストファミリーを紹介してくれたエージェントの人に言った方がいいよ!あと、学校の先生たちにも、念のために伝えよう。万が一のために動いておいた方がいいよ、私も付き合うから」

それを言われた瞬間、しまった。と思った。

大事にはしたくなかった。
気持ちがもやもやして話を聞いて欲しかっただけなのに…。
焦った私は

「大丈夫!!全然大丈夫。私の気にしすぎだと思うから!心配しないで。ありがとう!このことは、絶対誰にも言わないでくれる?先生にも、友達にも。万が一何かあった時は、私がちゃんと言うから!大丈夫だから・・」

と言って逃げた。

ことなかれ主義だ。

はるは不安そうな顔をしていた。

とにかく、私はホストファザーを避ければなんとかなると思った。
学校から帰ると滑り込むように自分の部屋にこもった。

 

そして、次の日。
私は突然、学校の先生に呼び出された。

「ちー、ホームステイはどう?ご家族は、いい人たち?」

その瞬間、身体中の血が逆流するように、ドクン!!と波打った。

「・・・はい、いい人たちです。」

「そうなのね、あなたはエージェントを通してホストファミリーを決めてるから、どうかなぁ?と思って。ここに通っている子は、学校を通してホストファミリーを決めてる人たちが多いからね。いい人たちならよかったわ、何かあったらいつでも言ってちょうだいね」

はるが、はるが言ったんだ・・・。

絶対に、言わないでって言ったのに・・・!!!!

怒りと悲しみが、はるに対してわいた。

ぐるぐると、いままでの人生で抱いたことのないような感情が巡る。

 

そして、2日後。事件は起こった。

私が寝ている部屋に突然ホストファザーが入ってきて、ゆっくりとベッド脇に座ったのだ。

びっくりして目が点になって硬直した。そして、襲われかけた。

必死に逃げて、無事だった。

「I have a boy friend in Japan..!!!!」
(いなかったけど、パニックになってそんなことを叫んだ)

と言ったら、彼は

「You're in Australia now.So you can have two boyfriend...in Japan and here.」

と言った。

 

はい???????お前はボーイフレンドじゃなくって、ホストファザーだろボケ!!!

いまの私だったら容赦なくぶん殴れるけど、当時は本当にピヨピヨと、純粋すぎて、幼くて、一生懸命だった。

 

無事に逃げた後、震えが止まらなかった。

男性経験もなかった私は、人生で経験したことのないような衝撃と恐怖を感じて、泣きながらはるに電話をかけて事情を説明した。

「ごめん、はる。私が、バカだった。ごめんね、ごめんね・・」

パニックになって、泣きながらそんなことを口走った気がする。はるも泣きながら、

「ごめんね、私がちゃんと言ってあげられてたら・・大丈夫??とにかく、エージェントの人に伝えて・・・」

と言った。

パニックになりながらエージェントの人に電話した。担当してくれた日本人の女性は、カンカンになって「すぐに一緒に話し合いに行きましょう」と駆けつけてくれた。

 

そして、ホストファザーとマザーと、担当の女性と四人で話し合いをした。

 

そこで、私は生まれて初めて、自分の罪を隠す嘘をつく、人間の表情を見た。

「そんなことしていない」

「こんな幼い子供相手にそんなことをするわけがない」

「彼女が嘘をついている」

ホストファザーは、焦点の合っていない目で必死に嘘をついた。

そして、ホストマザーも信じられない勢いで怒り出した。

「あなた、うちの何かが嫌で嘘をついてるんでしょう?!出て行きたかったから、うちの主人を悪者にしてるんだわ!この嘘つき女!!主人がそんなことするわけないでしょう!!」

子供二人とおばあちゃんが、少し離れたところから私たちを見ている。

叫び声は全て聞こえている。

いままで見たことのないような、悲しく冷めた、温度のない顔。

子供って、こんな顔することあるんだなぁ

その子たちの目線が、ある意味一番ショックだったし突き刺さった。

私が悪いんだ。

私が手にキスされたときに、嫌って言わなかったから。私がこの家にきたから。私が子供たちを傷つけた。私がお母さんを怒らせた。

「今すぐ出て行け!!!」

ホストマザーが言った。彼女はとても優しい人で、大好きだった。

私はパニックになった頭で、でもホストマザーにはお礼が言いたくって、

「ありがとう・・」

と泣きじゃくりながらも、言った。

「ありがとう?口だけ女!!!あなたの次のホストファミリーが、私たちのようにいい人たちだといいわね!!!!」

彼女はそう言って、私の荷物をどんっと投げた。

 

がーーーーーーん

 

人生最大級のショックを受けた私は、もはや何が何だかわからなくなった。

しゃっくりと、涙と鼻水が止まらない。

 

エージェントの女性はカンカンになりながら

「もう、絶対許せない!怖かったよね、ごめんね。もう大丈夫だから・・あなたが安心できるような、新しいホストファミリーを探すから。とりあえず、今日泊まれるところをこちらで探すからね。」

と言ってくれた。

まじで、いい人で助かった・・。

そう思ったとき、エージェントの人の電話が鳴った。語学学校の先生だった。

はるが学校の先生に連絡してくれたらしい。事情を知った校長先生が、仕事を中断して車をぶっ飛ばし、迎えに来てくれるって。

本当に、はると語学学校の先生たちと友達、エージェントの人には感謝でいっぱいだー…😭

私は、数日間校長先生夫婦の家に泊めてもらうことになった。

そしてその後、無事にシングルマザーのケリーという女性のお家にお引越し。

子供たちは既に大きくなって出て行ってしまい、自然豊かな場所の大きな家で一人暮らしをしているそう。ケリーは本当に優しかった。

彼女も、幼い頃に義理の父に襲われそうになって、それがきっかけで家出をして、以来自身の家族とは絶縁状態になったと話してくれた。

旦那さんは3年前に亡くなったそうで「今もその事実を受け止められない」と言った。家の真ん中には、旦那さんの遺灰が入った骨壺が置いてあった。

私がオーストラリアを発つ3日前「彼の遺灰を海にまくわ。あなたとたくさん話せて、なんだか心がすっきりしたの。ようやく決心できたわ」と言っていた。

その次の日、学校から帰ると、もう骨壺はなかった。

「All done.」

と呟いたときの、寂しさと悲しさの中にある、人間の小さなちいさな灯火のような強さを持った表情が忘れられない。

 

私は初一人海外の衝撃的な経験にぼろっぼろになりながらも、なるべく考えない、という術、予定通りオーストラリア滞在をし、帰国した。

 

親にこの事を話したら、絶対に帰って来いと言われる。親が悲しい思いをする、泣いてしまう。二度と海外に行くなって言われる。一生隠し通そう。墓場に持って行こう。

そう決めて、私は今日の今日までこのことを親に話さなかった。

 

今、このことをオープンにできたのは、なんというか「もういいでしょ」と思ったから。ちょっとずつでも、いろんなことをオープンにしていきたい。無視し続けていた自分の潜在意識的な部分を癒してあげたいな、と思ったからです。

できるだけ見ないという術で乗り越えた経験を、もう一度見つめてあげる時期にさしかかった気がしたからです。

 

結構忘れて、どうでもよくなったと思ったことなのに、いざ書くとやっぱり相当思い出してくらいました!!!!

 

はーー!!!!

ちょっと深呼吸ということで、次回に続く⭐︎

chiakiphoto.hatenablog.com

初めましての、はじめまして。始まりの、はじまり。

はじめましてこんばんは!

 

全世界出張型でフォトグラファーをしています、Chiakiです。

現在26歳で、福岡県出身。

現在CHAPAWONICAR(ちゃぱうぉにかー)というブルーの車に乗って全国をまわり、ハッピーレインボーアーティストでペインターのMAYUCHAPAWONICAと一緒に、自分の体と感覚・時間・お金を使って、色々な実験を行っております。

地元の福岡・私の超絶大切な人のいる新潟・そしてMAYUCHAPAWONICAの拠点・横浜の三箇所を主な拠点とし、全国の行きたいところ・会いたい人のもとへ🚙
ぐるぐるまわる生活をしています⭐︎

 

【CHAPAWONICA】ーちゃぱうぉにかー

 

それは新しい次元の概念であり、私たちのブランド名・チーム名です。

あなたと私の境目がとけて、なくなるような活動を目指しています。

 

具体的に何をしてるの?といいますと💡

わかりやすいところで説明すると、私は撮影をしながら、まゆさんは絵を描いたりしながら全国をまわっています。

声をかけてもらった方の家に泊まらせてもらったり、イベントしたり、会った方とコラボ企画をしたり、「誰でも いつでも車に乗ってください!世界中で遊びましょう!」と、逆ヒッチハイクをしたり。

これをやりたい!と思ったことを枠にとらわれずに、何でもやってみています(*^^*)

もはや自分たちで説明できない域に達している部分も多く、そのスピード感に自分たちもついていけていません!

自分たちですら置いていく、そんなカオスな感じが最高にいいなぁ。

 

個人的には、

どこまで自分の純度を高められるか

自分と向き合い続けること
時に自身とバトルし、助け合い、愛し合い、嫌いあい、そんな中で自分とどこまで仲良くしていけるか

自分のお腹の底からの声を聞けるか、行動にうつしていけるか

そんな実験を日々行っています。

 

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過去の話をすると、私は大学卒業後に一般企業に就職。
2015年の7月末まで働いていました。

所謂、世間一般的なレールに乗っかった人生。

大学時代には一人でバックパックを背負って20ヶ国近くいろんな国へ。

世界トップレベルの方向音痴を誇っていて、実家の半径500m以内でも迷う私。※実家にはもう10年は住んでおります。

すぐに人を信じるし、おっちょこちょいにもほどがある、しっかりしていなさすぎる私を、友人たちはまじで止めた。

「死にに行く気?!?!?!」

私は昔っから、死にはしないけれど、とんでもないネタのような目に合うことが、めっちゃくちゃ多かったです😂

海外でも国内でも相当色んなことがあったな…。

一つ一つの体験で感じたことが今の私を形作っている。

全て必然で、経験したかった事だったのかもなぁ。

 

もともと幼い頃からボランティア活動に興味がありm、貧困問題に携われるNGOで働きたいと思っていた。

でも、海外で一人でスラム街に飛び込んでボランティアをしたり、NGOを経由してボランティアをする中で、悟った。

これ、私には無理だ。

人の生き死に、生活に直結して関わるこの仕事は、熱い心とそしてある意味冷たい心、冷静な頭での判断も必要だって感じた。

私は、向いていない。きっと、心がダメになる。

 

そのとき、奇跡のような形で憧れのカメラマンの方に出会った。

chiakiphoto.hatenablog.com

 

その方とお付き合いをすることになって、一眼レフで写真を教えてもらいました。

元々写真が好きだった私。ますます写真好きが加速していきました。

そうして、「写真を仕事にしたい!!」と思うようになったのです。

 

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そんなこんなで大学卒業後は第一志望の会社に入社。

子供写真館で新店の店長を経験させてもらいました。

普通に企業に就職する私に、友人たちはびっくりしていた。

 

「絶対就職せずに、なんか海外とか行くと思ってた・・・!」

 

でも、私は思っていた。

年間3万人が自殺する社会って、みんなが苦しむ社会ってどんなものなのか。

日本の自殺問題に、私はすごく関心があった。

自殺のことを考えるととても悲しくて、辛かった。

それは、私も一歩道が違えば、自ら命を絶ってしまうくらいの弱さを持っているって、どこかで感じていたから。

当時は「人を助けたい!救いたい!」というような願望が強かったので、まずはみんなの気持ちを理解するために自殺したくなるような社会を経験しよう!!と思ったんです。

そして、そんな社会で自分がどこまでやれるのか、果たして馴染めるのか、挑戦してみたいと思ったんです。

 

仕事は大変なこともたくさんあったけれど、天職だなぁと思うくらいに毎日楽しく、大好きでした。

社会人時代に泣いた回数は、嬉し泣きが勝っていたというくらいに感動する瞬間がたくさん。

その中でも、どろっどろだし死にたくもなるわな、というようなことも経験していきました。

 

そんな中で、2014年11月に現在『超絶大切な他人』と私のことを呼ぶ、嘉向徹くんという人と出会ったのです。

 この人が、とにかく面白い人なんです。

そのすごさ、やばさは今後のブログでどんどんお伝えできたらな、と思っております😂

chiakiphoto.hatenablog.com

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出会うやいなや、お互いの持ちうる全てをぶつけ合う死闘・地獄の5daysを繰り広げ、スーパー自由に全国を動き回る、かつ人と付き合う気がまっっっったくなかった徹くんを見事に一本釣り。

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お付き合い的なものがスタートして三ヶ月ほどで

「てか、結婚したことないから、結婚っていうのがどんなものか試してみたいね!結婚しよう!!」

と突っ走る二人。

2015年の7月に徹くんと結婚するために退職。

これから徹くんと一緒に面白いことたくさんするんだ…!

きっと楽しいことだらけ♡

本当に面白くて大好きな人と出会えて、婚約者になれてしあわせ🥰

私いま、絶頂期だわ人生の♡♡♡

と希望に胸を膨らませて、脳内お花畑状態♡ふわふわーっと当時働いていた奈良県を離れ、彼の地元・新潟県に引っ越しました。

 

・・・・が。色んなことが嵐のようにありまくり、結婚は直前に御釈迦に⭐︎

親戚の挨拶も済ませて、会社の人にもたくさんお祝いしてもらって、なんなら結婚祝い金までもらってしまったのに・・・!!!

 

その後もやっばいスピードであれやこれやありまくって、まじで落ち込んで本気で鬱になって、もうこれは死ぬ。

そんなレベルまで達して、奇跡のV字復活を遂げるということを数回繰り返し、気づけば今に至る・・・という感じです。

千明と徹のこれまで & 自伝 まとめ|Chiaki Kamuki|note

↑こちらに途中まで綴っております。

 

もともと自分の人生すっごく面白いなぁ、好きやわーと思っていたのですが、

特に徹くんと出会ってからのここ1年半ほどは、恐ろしい速度で面白さが加速しました。

その面白さは、ギャグみたいだったり、地獄を見るような辛さだったり、奇跡のようだったりと色んな意味を含む、面白さ。

 

いま私の周りには、神がかったレベルの純度の高い人がたくさんいます。
そんな皆から、日々衝撃や余波をくらい、それを通じて自分と向き合うという日々です。

私はThe⭐︎人間!的な存在。
そんな人間代表の私が、ある意味において、宇宙人レベルの面白い方々を通じて感じたことって、世界に大きなヒントをもたらすような、とんでもなく面白い国宝体験なのでは??

彼らの生き方に触れ、学んだことを一般社会にもわかりやすく翻訳していく事で、たくさんの方に大切なものを届けられるのでは?!

 

いつか、溢れるように文字にする日が来るだろう

そう思って、その時を待ち続けていた。

そして、いま、溢れ始めている。

 

そんな感じで
今回ブログをスタートしました♡

 

いま、思うことの話

過去の話

大好きな写真のお仕事の話

 

いろいろカテゴリーに分けて気の赴くままに書いていきたいと思っています♡

 

しょっぱなから早速長くなりましたが

どうぞお付き合いいただけると嬉しいです♡

 

 

はじまり・はじまり!!!!

 

 

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2016.8

Chiaki♡

chiakiphoto.hatenablog.com