Chiaki Photo

Chiaki Photo BLOG

全世界出張型フォトグラファーのChiakiのブログです!日々感じること・写真について書いていきたいと思います♡

2009年オーストラリア編

早速、ブログに何かを書きたい!と思ったのだけど、

前後が繋がってこそ、伝わることも多いよね。

私と徹くんの出会いを書こうと思ったのだけど、そもそもの出会いが繋がった経緯から書きたいなぁ、と思いました。

幼くもその時その時で、全力だった私の話。

 

私は大学時代まで、貧困問題に携われるNGOで働きたかった。

きっかけは、幼稚園の頃。

寄付をお願いします、と募金活動をしている人をみて、私はお母さんに聞いた。

「ねぇ、あれって何してるの?」

「あれはユニセフ募金っていうのよ。お金を集めてるの」

「なんでお金を集めてるの?」

「世界にはお金がなくってご飯が食べられない子もいるんだよ。そういう子のために、ご飯をあげるためのお金だよ」

そう言われた瞬間の衝撃を、今もはっきりと覚えている。

当時幼稚園生だった私は、世界が日本しかないという感覚・・むしろ自分の家と、目に届く範囲しかないという感覚だった。(そりゃそうか)

ご飯を食べれない子がいるの??なんで??どうして??

ショックと同時に、世界って、意味不明・・と、パニックになったのを覚えています。

 

そんな記憶が胸のどこかに残りつつ、時が経ち私は仏教校の高校に通うようになります。

本当に素敵な校風で、月に一回、先生やお坊さん・ゲストスピーカーの方からご法話を聞く機会がありました。

その時に、フィリピンのスモーキーマウンテンの話をしてくれた先生がいました。

子供に、「あなたの夢は何ですか?」と聞くと、「大人になるまで生きること」そう返事が返ってくる場所。それがスモーキーマウンテンというゴミ山。

フィリピンではゴミ山からお金になるものを拾って、それを売って生計をたてている人がいる。でも、そこの環境は劣悪で乳児死亡率は30%と言われている。

その話を聞いた時、私は再び、幼稚園の頃に受けたような衝撃を受けた。

 

「大学生になったら、スモーキーマウンテンに行きたい。何かできることがあるはずだ」

 

そう心に決めて、大学に進学後、スモーキーマウンテンに行こう・・・としたんだけど、私の英語力は 最っ悪⭐︎

リスニング・スピーキングが苦手で、Hello,Yes,Noくらいしか、まともにわからないというアホっぷり。(大学受験は筆記のみだったので大丈夫だった)

このままじゃ、スモーキーマウンテンに行っても何もできなくない??!!

英語をある程度勉強しなくては。

 

ということで、2009年2月。千明、19歳。

大学1年生の終わる春休み、オーストラリアにホームステイ語学留学&一人旅に行きました。

海外に行ったのは高校の修学旅行以外では、はじめて。

当時私の周りには、一人で海外に行くような友達はいなかった。

ネットでいろいろな情報を調べるという脳もなかったので、前情報も何もなし。

まじで、初めてのおつかいレベルの気持ちだった。

あまりにもしっかりしていなくって、甘ちゃんで、ドジな自分を変えたかった。

周りの友人には海外に行くことを一切言わず、一人でエージェントを探して一人で決めて、家族に決定事項を伝えて海外に旅立った。

それだけで大人になった気分だった。

一人で決められた、一人で飛行機に乗れた、一人でなんでもできるようになったんだ!

 

初めての海外一人旅は、見るもの全てが魅力的で刺激的だった。

方向音痴な私は語学学校初日、ホームステイの家に帰る途中に見事に迷子になり、家と真逆の方向に2時間近く歩き続けた。

薄暗く、どこまでいっても人通りのない道。

どうすればいいかわからなくって、ガラケーで泣きながら家に国際電話をかけた。

 

「ぐすっ・・・お母さん、もううちだめやん、道がわからん・・。2時間迷子になってる。家にたどり着けん。どうすればいいと??」

「はぁ??そんな・・・この距離で言われたって、何もしてあげられんよ。タクシー呼んだら??」

「タクシーの番号もわからんし、英語でなんて、電話かけきらんよ・・ホストファミリーの電話番号もわからんくなってしまったけん、道も聞けん・・・」

「とにかく、どうにかするしかないよ・・大丈夫?人に何とか聞いて、助けてもらいなさい」

「わかった・・・。」

 

近くの家にピンポンをして、お兄さんに拙い英語で道を聞いた。道は教えてもらえたものの、ナンパされ家に連れ込まれそうになり、半泣きで逃げた。

どうやた私は、ただの一本道を2時間、逆方向に歩き続けていたことようだった。

ちぃぃん。

結局、また2時間ちょっとかけて家に帰った。

初日から前途多難である。

あの時に感じた恐怖と、世界中に一人ぼっちのような、寂しくて怖い感覚はいまもはっきりと覚えています。

 

あぁ、わたしはわたしの人生を選べる。でも、ひとりなんだ。

待っていても、何も変わらない。

自分でアクションを起こして切り開かなきゃいけないんだ、人生って。

 

更に、2日目。

授業の合間に学校のすぐ隣のショッピングモールにみんなでお昼ご飯を買いにいった時に、一人迷子になり、授業に遅刻。

「ま、迷っちゃいました・・・」

と教室に入った瞬間に涙がこぼれてきて、先生に慰められてみんなに笑われる。

その後も迷子事件は多発し続け、語学学校内で初めましての人に自己紹介をした際に

「・・・君って、もしかして迷子の ちー??学校内で有名だよ!!すっごい短い距離でも迷子になる、迷子の達人って・・!」

と言われてびっくり仰天。

気づけば皆に Lost girl と呼ばれるようになりました。笑

 

その後も様々なおっちょこちょいエピソードを残しつつ、最大の事件に直面することになります。

 

わたしのホストファミリーは、フィリピンからの移民の家族。

パパとママ、おばあちゃん、そして5歳と7歳のお子さん二人。

私はもともとフィリピンに行きたくて英語の勉強に来ていた。

「フィリピン人の、ホストファミリー!!!嬉しすぎる・・!いろんなお話が聞ける。これはきっとフィリピンに行きなさいというお告げなんだなー!!」

とすっごく嬉しかった。

ステイが始まって10日ほどたったある日。

ホストファザーとベランダで、二人きりになった時
「スモーキーマウンテンに行きたい、ボランティアがしたい」という話をした。

「君のその気持ちはとっても素敵だね、本当にいいことだ」

微笑んでそう言い、彼は私の手を掴んで、手の甲にキスをしてきた。

その瞬間、背筋が ぞわぁあ!!!となり、慌てて手を引っ込めた。

私は思わずキョドりながら

「あはははは、もう遅いからっっ、寝るね、おやすみなさい!!」

ダッシュで部屋に帰った。

ベッドに入ってから、悶々と考えた。

 

あれって何だったの???確かに、海外はキス文化がある。
ホストファミリーたちが家族内や友達でキスしてるところも、たくさん見た。

でも、なんか、なんか、あの目線とキスの仕方、触り方って・・なんか、なんか変だった。全身が警報を放った。怖い!!!!

 

次の日、語学学校で知り合って仲良くなった はるという女の子に、その話をした。

「それって、まずいよ。キス文化は確かにあるけど・・でも、それをちーが嫌だって感じたのなら、それは何かある気がする。いまのうちに、ホストファミリーを紹介してくれたエージェントの人に言った方がいいよ!あと、学校の先生たちにも、念のために伝えよう。万が一のために動いておいた方がいいよ、私も付き合うから」

それを言われた瞬間、しまった。と思った。

大事にはしたくなかった。
気持ちがもやもやして話を聞いて欲しかっただけなのに…。
焦った私は

「大丈夫!!全然大丈夫。私の気にしすぎだと思うから!心配しないで。ありがとう!このことは、絶対誰にも言わないでくれる?先生にも、友達にも。万が一何かあった時は、私がちゃんと言うから!大丈夫だから・・」

と言って逃げた。

ことなかれ主義だ。

はるは不安そうな顔をしていた。

とにかく、私はホストファザーを避ければなんとかなると思った。
学校から帰ると滑り込むように自分の部屋にこもった。

 

そして、次の日。
私は突然、学校の先生に呼び出された。

「ちー、ホームステイはどう?ご家族は、いい人たち?」

その瞬間、身体中の血が逆流するように、ドクン!!と波打った。

「・・・はい、いい人たちです。」

「そうなのね、あなたはエージェントを通してホストファミリーを決めてるから、どうかなぁ?と思って。ここに通っている子は、学校を通してホストファミリーを決めてる人たちが多いからね。いい人たちならよかったわ、何かあったらいつでも言ってちょうだいね」

はるが、はるが言ったんだ・・・。

絶対に、言わないでって言ったのに・・・!!!!

怒りと悲しみが、はるに対してわいた。

ぐるぐると、いままでの人生で抱いたことのないような感情が巡る。

 

そして、2日後。事件は起こった。

私が寝ている部屋に突然ホストファザーが入ってきて、ゆっくりとベッド脇に座ったのだ。

びっくりして目が点になって硬直した。そして、襲われかけた。

必死に逃げて、無事だった。

「I have a boy friend in Japan..!!!!」
(いなかったけど、パニックになってそんなことを叫んだ)

と言ったら、彼は

「You're in Australia now.So you can have two boyfriend...in Japan and here.」

と言った。

 

はい???????お前はボーイフレンドじゃなくって、ホストファザーだろボケ!!!

いまの私だったら容赦なくぶん殴れるけど、当時は本当にピヨピヨと、純粋すぎて、幼くて、一生懸命だった。

 

無事に逃げた後、震えが止まらなかった。

男性経験もなかった私は、人生で経験したことのないような衝撃と恐怖を感じて、泣きながらはるに電話をかけて事情を説明した。

「ごめん、はる。私が、バカだった。ごめんね、ごめんね・・」

パニックになって、泣きながらそんなことを口走った気がする。はるも泣きながら、

「ごめんね、私がちゃんと言ってあげられてたら・・大丈夫??とにかく、エージェントの人に伝えて・・・」

と言った。

パニックになりながらエージェントの人に電話した。担当してくれた日本人の女性は、カンカンになって「すぐに一緒に話し合いに行きましょう」と駆けつけてくれた。

 

そして、ホストファザーとマザーと、担当の女性と四人で話し合いをした。

 

そこで、私は生まれて初めて、自分の罪を隠す嘘をつく、人間の表情を見た。

「そんなことしていない」

「こんな幼い子供相手にそんなことをするわけがない」

「彼女が嘘をついている」

ホストファザーは、焦点の合っていない目で必死に嘘をついた。

そして、ホストマザーも信じられない勢いで怒り出した。

「あなた、うちの何かが嫌で嘘をついてるんでしょう?!出て行きたかったから、うちの主人を悪者にしてるんだわ!この嘘つき女!!主人がそんなことするわけないでしょう!!」

子供二人とおばあちゃんが、少し離れたところから私たちを見ている。

叫び声は全て聞こえている。

いままで見たことのないような、悲しく冷めた、温度のない顔。

子供って、こんな顔することあるんだなぁ

その子たちの目線が、ある意味一番ショックだったし突き刺さった。

私が悪いんだ。

私が手にキスされたときに、嫌って言わなかったから。私がこの家にきたから。私が子供たちを傷つけた。私がお母さんを怒らせた。

「今すぐ出て行け!!!」

ホストマザーが言った。彼女はとても優しい人で、大好きだった。

私はパニックになった頭で、でもホストマザーにはお礼が言いたくって、

「ありがとう・・」

と泣きじゃくりながらも、言った。

「ありがとう?口だけ女!!!あなたの次のホストファミリーが、私たちのようにいい人たちだといいわね!!!!」

彼女はそう言って、私の荷物をどんっと投げた。

 

がーーーーーーん

 

人生最大級のショックを受けた私は、もはや何が何だかわからなくなった。

しゃっくりと、涙と鼻水が止まらない。

 

エージェントの女性はカンカンになりながら

「もう、絶対許せない!怖かったよね、ごめんね。もう大丈夫だから・・あなたが安心できるような、新しいホストファミリーを探すから。とりあえず、今日泊まれるところをこちらで探すからね。」

と言ってくれた。

まじで、いい人で助かった・・。

そう思ったとき、エージェントの人の電話が鳴った。語学学校の先生だった。

はるが学校の先生に連絡してくれたらしい。事情を知った校長先生が、仕事を中断して車をぶっ飛ばし、迎えに来てくれるって。

本当に、はると語学学校の先生たちと友達、エージェントの人には感謝でいっぱいだー…😭

私は、数日間校長先生夫婦の家に泊めてもらうことになった。

そしてその後、無事にシングルマザーのケリーという女性のお家にお引越し。

子供たちは既に大きくなって出て行ってしまい、自然豊かな場所の大きな家で一人暮らしをしているそう。ケリーは本当に優しかった。

彼女も、幼い頃に義理の父に襲われそうになって、それがきっかけで家出をして、以来自身の家族とは絶縁状態になったと話してくれた。

旦那さんは3年前に亡くなったそうで「今もその事実を受け止められない」と言った。家の真ん中には、旦那さんの遺灰が入った骨壺が置いてあった。

私がオーストラリアを発つ3日前「彼の遺灰を海にまくわ。あなたとたくさん話せて、なんだか心がすっきりしたの。ようやく決心できたわ」と言っていた。

その次の日、学校から帰ると、もう骨壺はなかった。

「All done.」

と呟いたときの、寂しさと悲しさの中にある、人間の小さなちいさな灯火のような強さを持った表情が忘れられない。

 

私は初一人海外の衝撃的な経験にぼろっぼろになりながらも、なるべく考えない、という術、予定通りオーストラリア滞在をし、帰国した。

 

親にこの事を話したら、絶対に帰って来いと言われる。親が悲しい思いをする、泣いてしまう。二度と海外に行くなって言われる。一生隠し通そう。墓場に持って行こう。

そう決めて、私は今日の今日までこのことを親に話さなかった。

 

今、このことをオープンにできたのは、なんというか「もういいでしょ」と思ったから。ちょっとずつでも、いろんなことをオープンにしていきたい。無視し続けていた自分の潜在意識的な部分を癒してあげたいな、と思ったからです。

できるだけ見ないという術で乗り越えた経験を、もう一度見つめてあげる時期にさしかかった気がしたからです。

 

結構忘れて、どうでもよくなったと思ったことなのに、いざ書くとやっぱり相当思い出してくらいました!!!!

 

はーー!!!!

ちょっと深呼吸ということで、次回に続く⭐︎

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